エジプト南部にあるアブシンベル神殿。正面には巨大なラムセス2世の像が並び、その背後には岩山が広がっています。
約3,300年前に岩山を彫ってつくられたこの神殿は、今も当時の場所にそのまま残っているように見えます。
しかし、実はそうではありません。
現在のアブシンベル神殿は、1960年代に神殿ごと別の場所へ移されたものなのです。
しかも、移設された理由は、もともとあった場所が巨大な湖の底に沈むことになったから。
そして、この神殿を救うために始まった国際的な取り組みが、後の「世界遺産」という制度の誕生につながっていきます。
巨大ダムの建設で、神殿が湖の底に沈むことに
1950年代、エジプトでは国家の発展をかけた巨大プロジェクトが進められていました。
ナイル川に「アスワン・ハイ・ダム」を建設する計画です。
ナイル川は古くからエジプトの人々の暮らしを支えてきましたが、洪水や水不足にも悩まされていました。巨大なダムを建設すれば、水量を調整して農業を安定させ、水力発電によって大量の電力を生み出すことができます。
エジプトの近代化にとって、非常に重要な計画でした。
しかし、大きな問題がありました。
ダムの建設によって生まれる巨大な人造湖が、ナイル川上流のヌビア地方を水没させてしまうのです。
そして、その水没予定地には、アブシンベル神殿をはじめとする数多くの古代遺跡が存在していました。
このままダムの建設が進めば、数千年もの間残されてきた神殿が、水の底に沈んでしまう。
古代の遺産を守るのか、それとも現代の人々の生活を豊かにする開発を優先するのか。
当時、この二つを両立させることは簡単ではありませんでした。
「この神殿を救おう」世界中の国々が動き出す
水没の危機が迫るなか、1959年、エジプトと隣国スーダンはUNESCO(国際連合教育科学文化機関)に支援を求めました。
そして1960年3月8日、UNESCOはヌビア地方の遺跡を救うため、世界各国に協力を呼びかけます。
こうして始まったのが「ヌビア遺跡救済国際キャンペーン」です。
これは、単にエジプトの古い建物を守るというだけの話ではありませんでした。
たとえ自分たちの国にある遺跡でなくても、人類にとって価値のあるものなら、世界全体で守るべきではないか。
そんな考え方が、この取り組みの根底にありました。
呼びかけに応じて、世界各国から資金や専門家が集まりました。考古学者、建築家、技術者たちが協力し、水没する遺跡の調査や保存を進めていきます。
その中でも、とりわけ難しい課題がアブシンベル神殿の救出でした。
岩山そのものを彫ってつくられた巨大な神殿を、一体どうやって水没から守るのか。
専門家たちはさまざまな方法を検討し、最終的に驚くべき方法を選びました。
神殿を切り分けて運び、別の場所でもう一度組み立てるという方法です。
3,000年以上前の神殿を、1,000個以上に切り分ける
1960年代、アブシンベル神殿の大規模な移設工事が始まりました。
方法は大胆なものでした。
神殿を構成する岩を1,000個以上のブロックに切り分け、一つずつ番号を付けて運び出します。
ブロックの中には、重さが約30トンにもなるものがありました。
しかも、移動させるのは入口にある巨大な像だけではありません。内部の柱や壁、奥へと続く部屋など、神殿全体を再現する必要がありました。
移設先は、もとの場所より約64メートル高く、約180メートル内陸側。
運び出した石を正確な位置に組み直し、さらに神殿の背後には人工の岩山まで建設しました。
つまり、現在私たちが目にしているアブシンベル神殿の背後の岩山も、実は20世紀につくられたものなのです。
古代の建築を守るために、現代の技術で岩山ごと再現したことになります。
こうして1968年9月22日、アブシンベル神殿は新しい場所で落成を迎えました。
ダムの建設によって生まれた湖は、かつて神殿があった場所を水没させましたが、神殿そのものは無事に残されたのです。
実は、移設工事では、年に2回だけ朝日が神殿の最奥まで届く仕掛けも再現されました。古代エジプトの人々がこの仕掛けを造った理由や技術については、アブシンベル神殿に隠された太陽の仕掛けで紹介しています。

現在のアブシンベル大神殿。背後に見える岩山も移設時に再現されたもの。
この救出劇が「世界遺産」の誕生につながった
実は、この話にはさらに大きな続きがあります。
それが、現在の「世界遺産制度」の誕生です。
アブシンベル神殿をはじめとするヌビア地方の遺跡救済は、国境を越えた文化遺産保護の大きな成功例となりました。
この国際キャンペーンでは、約50か国が資金を提供し、22の遺跡や遺跡群が救済されました。
ここで重要なのは、各国が自国の利益のためだけに協力したわけではないことです。
エジプトにある遺跡であっても、その価値はエジプトだけのものではない。
人類が共有する遺産として、国際社会が協力して未来へ残していく。
この考え方を実際の行動で示したことに、大きな意味がありました。
そして1972年、UNESCOで「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」、いわゆる世界遺産条約が採択されます。
世界遺産制度は、この救済活動だけで生まれたわけではありません。しかし、UNESCO自身が、ヌビア遺跡の救済を世界遺産条約の成立につながった重要なきっかけとして紹介しています。
さらに1979年、アブシンベル神殿を含む「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」が世界遺産に登録されました。
つまり、世界遺産制度の誕生を後押しした神殿が、後に自らも世界遺産になったのです。
古代の人がつくり、現代の人が守った神殿
現地でアブシンベル神殿を見ると、まず圧倒されるのは正面に並ぶ巨大なラムセス2世の像です。
これほど大きな神殿を、3,000年以上前の人々が岩山を彫ってつくり上げたこと自体、信じられないような話です。
しかし、その神殿を守るために、20世紀の人々が一度切り分け、別の場所で組み直したことも、同じくらい驚くべきことだと思います。
もし、この国際的な救済活動がなければ、今ごろアブシンベル神殿は湖の底に沈んでいたかもしれません。

アブシンベル神殿のすぐ横にあるナセル湖。今頃この下に沈んでいたかもしれない
そして、あの神殿を救おうと世界が協力した経験が、今日の世界遺産制度にもつながっています。
そう考えると、目の前にあるのは単なる古代エジプトの遺跡ではありません。
古代の人々がつくり、現代の人々が守り、未来へ残した神殿なのです。
神殿そのものの迫力や現地での様子は、アブシンベル神殿を訪れた旅行記でも紹介しています。






