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タージ・マハルの対岸には黒いタージ・マハルが建つはずだった?

タージ・マハルの対岸には黒いタージ・マハルが建つはずだった? 皇帝シャー・ジャハーンにまつわる伝説を、対岸の発掘調査や霊廟内部の非対称な記念棺の配置からひもときます。白と黒、二つの霊廟の物語。

公開 読了 約6分
タージ・マハル
場所
アグラ
読了
約6分
⌖ アグラシリーズ

アグラで初めてタージ・マハルを目にしたとき、白い大理石の建物の大きさと美しさに圧倒されました。中央にそびえるドームと、左右に整った輪郭。写真で何度も見ていたはずなのに、実物を前にすると、しばらくその姿を眺めてしまいます。

ところが、この白いタージ・マハルには、もう一つの建物をめぐる伝説があります。

建物の背後を流れるヤムナー川。その対岸に、白ではなく黒い大理石を使った、もう一つのタージ・マハルが建つはずだったというのです。

もし実現していれば、川を挟んで白と黒、二つの壮大な霊廟が向かい合っていたことになります。

では、なぜ黒いタージ・マハルは存在しないのでしょうか。

タージ・マハルの白い霊廟

白い大理石が印象的なタージ・マハル。

妻のための白い霊廟、自分のための黒い霊廟

タージ・マハルを建てたのは、ムガル帝国の皇帝シャー・ジャハーンです。

1631年に亡くなった妻ムムターズ・マハルを追悼するため、翌1632年から建設が始まりました。UNESCOによると、中心となる霊廟が完成したのは1648年。その後も周辺の建築工事は続きました。

宮殿のようにも見える白い建物は、もともと人が暮らす場所ではなく、亡くなった妻のための霊廟だったのです。

そして、ここからがもう一つのタージ・マハルの話です。

伝説によれば、シャー・ジャハーンは妻のための白い霊廟に対し、自分自身が眠るための黒い霊廟を川の対岸に建てようとしていました。

二つの建物は向かい合い、橋で結ばれる構想だったとも語られています。

しかし、皇帝は息子アウラングゼーブとの権力争いに敗れ、アグラ城に幽閉されました。黒いタージ・マハルの計画も、それによって実現しなかったというのが、この伝説の筋書きです。

黒いタージ・マハルの話は、どこから来たのか

この伝説には、古い旅行記とのつながりがあります。

フランス人旅行家ジャン=バティスト・タヴェルニエは、1665年にアグラを訪れた際、シャー・ジャハーンが川の対岸に自分の墓を造り始めたものの、息子たちとの争いによって中断されたという話を記しています。

インドのウッタルプラデシュ州観光局が公開するタージ・マハルの公式サイトでも、この記述が黒いタージ・マハル伝説の起源として紹介されています。

ただし、旅行家がそう記したことと、建設計画が実際に存在したことは別です。

現在までに、黒い大理石の霊廟を建てる計画があったと確実に示す証拠は確認されていません。

では、建設予定地だったとされる場所には、何が残されているのでしょうか。

対岸の調査で見つかったのは、黒い霊廟ではなかった

タージ・マハルの対岸には、メーターブ・バーグと呼ばれる庭園があります。

黒いタージ・マハルが建つはずだったと伝えられてきた場所です。

この庭園では、スミソニアン博物館とインド考古調査局の協力による長期的な調査が行われました。

調査で明らかになったのは、庭園の配置や、水を利用した設備、建物の一部などでした。

とくに興味深いのは、この庭園が、川の向こうにある白いタージ・マハルを眺め、水面に映すための場所だった可能性があることです。

つまり、対岸にはもう一つの霊廟ではなく、白いタージ・マハルを美しく眺めるための空間が広がっていたのかもしれません。

この調査は、メーターブ・バーグが黒い霊廟の建設予定地だったという伝説を支持するものではありませんでした。

もちろん、皇帝が心の中で何を考えていたのかまで、発掘調査で確かめることはできません。

それでも、黒いタージ・マハルについては、歴史的事実としてではなく、一つの伝説として受け取るのが適切なのでしょう。

最後に二人が眠ったのは、一つのタージ・マハル

シャー・ジャハーンは1666年に亡くなり、最終的には妻ムムターズ・マハルと同じタージ・マハルに葬られました。

霊廟の内部には二人の記念棺が並んでいます。ただし、実際の墓はその下の墓室にあります。

中央に配置された妻の記念棺に対し、皇帝の記念棺はその隣に置かれています。

美しい左右対称の設計で知られるタージ・マハルですが、この二人の記念棺の配置は左右対称ではありません。皇帝の記念棺は、妻のものより30年以上も後に追加されたのです。

ここで、黒いタージ・マハルの伝説を思い出しました。

もしかすると、皇帝はもともと、この白い霊廟に一緒に眠るつもりではなかったのかもしれません。

そう考えると、左右対称ではない記念棺の配置も、対岸に自分の霊廟を建てるつもりだったという伝説と、どこかつながる気がします。

もちろん、それだけで黒い霊廟の計画が本当にあったとは言えません。それでも、整然とした建物の中に残る小さな非対称が、少し気になってきます。

タージ・マハルを訪れたとき、最初に心を奪われたのは、その圧倒的な美しさでした。

でも、建物がつくられた理由や、対岸に残る伝説を知ると、同じ景色にも違う見方が生まれます。

白いタージ・マハルの向こうに、もし黒い霊廟があったなら。

実現したかどうかも分からない建物に少しだけ思いを巡らせたあと、もう一度、目の前の白い霊廟を見る。

そこには、400年近く前に亡くなった二人のための建物が、今も変わらず立っています。

実際にタージ・マハルを訪れたときの様子は、タージ・マハルを訪れた旅行記に残しています。

庭園越しに見たタージ・マハル

庭園越しに眺めたタージ・マハル。

参考資料

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

この記録が、次の旅の小さなきっかけになればうれしいです。

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