シリーズ

エッフェル塔は、建設当時は反対されていた?

今ではパリの象徴として愛されるエッフェル塔。しかし建設当時、モーパッサンら約40人の芸術家が反対していました。なぜ美しい塔が批判されたのか。パリで実際に塔を見た体験とともに、その意外な歴史を紹介します。

公開 読了 約4分
エッフェル塔
場所
パリ
読了
約4分
⌖ パリシリーズ

パリに着いた初日の夜、ライトアップされたエッフェル塔を見ました。写真で何度も見ていたはずなのに、実物はやっぱり圧巻でした。長い移動を終えて目の前に現れた塔を見たとき、ようやくパリに来たんだと実感したのを覚えています。

今では「パリらしさ」そのものに見えるエッフェル塔。ところが、建設当時はその姿を歓迎しない人たちもいました。しかも反対していたのは、当時のフランスを代表する芸術家たちだったのです。

パリについてまず向かったエッフェル塔

パリに着いた初日の夜、最初に見に行ったエッフェル塔。

芸術家たちは何を心配したのか

1887年2月14日、フランスの新聞『ル・タン』に、エッフェル塔の建設に抗議する文章が掲載されました。

署名したのは約40人。作家のモーパッサン、作曲家のグノー、パリのオペラ座を設計した建築家シャルル・ガルニエなど、当時の芸術界を代表する人々が名を連ねていました。

彼らが心配していたのは、歴史あるパリの景観が壊されてしまうことでした。

石造りの建物や歴史的な記念碑が並ぶ街に、高さ約300メートルもの鉄の塔が現れる。それは当時のパリにとって、まったく新しい景色だったはずです。

抗議文では、エッフェル塔を「巨大な黒い工場の煙突」にたとえるほど、強い言葉が使われていました。

今の私たちには少し信じられない表現です。でも、完成した姿も、その後の評判も知らない人たちにとっては、パリの美しさを脅かす巨大な建造物に映ったのかもしれません。

エッフェルが考えた、構造の美しさ

一方、ギュスターヴ・エッフェルは、芸術家たちとは違う考えを持っていました。

技術者だからといって、建築の美しさを考えていないわけではない。強く、長く使える構造を追求することと、美しさを生み出すことは両立する、という考えです。

エッフェルは、塔の形を決めるうえで重要だった風への抵抗にも触れています。風に耐えるために計算された塔の曲線そのものが、力強さと美しさを感じさせると考えていたのです。

芸術家たちが守ろうとしたのは、それまでのパリが育んできた美しさ。エッフェルが示そうとしたのは、新しい技術から生まれる美しさでした。

どちらも街の美しさを考えていたのに、その答えは大きく違っていたのです。

そして、パリの象徴になった

エッフェル塔は1889年のパリ万国博覧会に向けて完成しました。

建設中には反対の声もありましたが、万国博覧会の期間中には約195万人もの人々が塔を訪れました。もちろん、当時のパリ市民全員が建設に反対していたわけでもありません。

やがて、この新しい鉄の建築物は、パリを象徴する存在になっていきます。

エッフェル塔

昼間に見ると、鉄骨が描く曲線や塔全体の形がよく分かる。

この歴史を知ってから写真を見返すと、塔の見え方が少し変わります。

足元から空へ向かって伸びる鉄骨の線。今なら優雅に感じるその輪郭も、初めて目にした人には異質だったのかもしれません。

パリに着いた最初の夜、僕にとってエッフェル塔は、ずっと見てみたかった憧れの景色でした。でも、その景色が当たり前になるまでには、さまざまな意見や、長い時間があったのです。

街の象徴とは、建った瞬間に決まるものではなく、人が眺め、使い、語る時間の中で育っていくものなのだと思います。

次にエッフェル塔を見るときは、きれいな姿を眺めるだけでなく、「これがまだパリらしくなかった時代」を少し想像してみたくなります。

初めてエッフェル塔を見た夜のことは、パリに到着した日の旅行記にも残しています。

参考資料

  • エッフェル塔公式「The artists who protested the Eiffel Tower」
  • エッフェル塔公式「When the Eiffel Tower was a subject of controversy」
  • エッフェル塔公式「World’s Fair」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

この記録が、次の旅の小さなきっかけになればうれしいです。

SHARE THE JOURNEY旅のワクワクを、誰かにも。

STORY TRAIL

この旅の話の、その先へ

同じ気持ちになれる旅の話

「発見」をもっと

この気分の旅をすべて見る  →

フランスの旅の話

同じ土地で書いたもの

フランスの記事をすべて見る  →

KEEP EXPLORING