パリに着いた初日の夜、ライトアップされたエッフェル塔を見ました。写真で何度も見ていたはずなのに、実物はやっぱり圧巻でした。長い移動を終えて目の前に現れた塔を見たとき、ようやくパリに来たんだと実感したのを覚えています。
今では「パリらしさ」そのものに見えるエッフェル塔。ところが、建設当時はその姿を歓迎しない人たちもいました。しかも反対していたのは、当時のフランスを代表する芸術家たちだったのです。

パリに着いた初日の夜、最初に見に行ったエッフェル塔。
芸術家たちは何を心配したのか
1887年2月14日、フランスの新聞『ル・タン』に、エッフェル塔の建設に抗議する文章が掲載されました。
署名したのは約40人。作家のモーパッサン、作曲家のグノー、パリのオペラ座を設計した建築家シャルル・ガルニエなど、当時の芸術界を代表する人々が名を連ねていました。
彼らが心配していたのは、歴史あるパリの景観が壊されてしまうことでした。
石造りの建物や歴史的な記念碑が並ぶ街に、高さ約300メートルもの鉄の塔が現れる。それは当時のパリにとって、まったく新しい景色だったはずです。
抗議文では、エッフェル塔を「巨大な黒い工場の煙突」にたとえるほど、強い言葉が使われていました。
今の私たちには少し信じられない表現です。でも、完成した姿も、その後の評判も知らない人たちにとっては、パリの美しさを脅かす巨大な建造物に映ったのかもしれません。
エッフェルが考えた、構造の美しさ
一方、ギュスターヴ・エッフェルは、芸術家たちとは違う考えを持っていました。
技術者だからといって、建築の美しさを考えていないわけではない。強く、長く使える構造を追求することと、美しさを生み出すことは両立する、という考えです。
エッフェルは、塔の形を決めるうえで重要だった風への抵抗にも触れています。風に耐えるために計算された塔の曲線そのものが、力強さと美しさを感じさせると考えていたのです。
芸術家たちが守ろうとしたのは、それまでのパリが育んできた美しさ。エッフェルが示そうとしたのは、新しい技術から生まれる美しさでした。
どちらも街の美しさを考えていたのに、その答えは大きく違っていたのです。
そして、パリの象徴になった
エッフェル塔は1889年のパリ万国博覧会に向けて完成しました。
建設中には反対の声もありましたが、万国博覧会の期間中には約195万人もの人々が塔を訪れました。もちろん、当時のパリ市民全員が建設に反対していたわけでもありません。
やがて、この新しい鉄の建築物は、パリを象徴する存在になっていきます。

昼間に見ると、鉄骨が描く曲線や塔全体の形がよく分かる。
この歴史を知ってから写真を見返すと、塔の見え方が少し変わります。
足元から空へ向かって伸びる鉄骨の線。今なら優雅に感じるその輪郭も、初めて目にした人には異質だったのかもしれません。
パリに着いた最初の夜、僕にとってエッフェル塔は、ずっと見てみたかった憧れの景色でした。でも、その景色が当たり前になるまでには、さまざまな意見や、長い時間があったのです。
街の象徴とは、建った瞬間に決まるものではなく、人が眺め、使い、語る時間の中で育っていくものなのだと思います。
次にエッフェル塔を見るときは、きれいな姿を眺めるだけでなく、「これがまだパリらしくなかった時代」を少し想像してみたくなります。
初めてエッフェル塔を見た夜のことは、パリに到着した日の旅行記にも残しています。
参考資料
- エッフェル塔公式「The artists who protested the Eiffel Tower」
- エッフェル塔公式「When the Eiffel Tower was a subject of controversy」
- エッフェル塔公式「World’s Fair」







